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岡山地方裁判所 平成2年(ワ)654号 判決 1992年7月14日

原告

江原智恵野

被告

玉城進

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対して、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一五日から完済まで年五分の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故

昭和六三年一一月一五日午後四時二五分頃、岡山市南方二丁目一三番一号先交差点において、同交差点の横断歩道上に立つていた原告を、同交差点を右折中の被告玉城運転の普通貨物自動車(以下、被告車という)が轢過した。

2  責任原因

被告玉城は交差点を右折するに際し、右側方の安全を確認する注意義務を怠り、原告を轢過したものであるから民法七〇九条により、被告株式会社権太寿司(以下、被告会社という)は被告車を保有し、当時自己のため運行の用に供していたから自賠法三条により、それぞれ損害賠償責任がある。

3  受傷と治療経過

(1) 出血性シヨツク、外傷性膵炎、胆汁うつ滞黄症、多発肋骨骨折、左鎖骨骨折、右大腿骨頸部骨折、骨盤骨折

(2) 昭和六三年一一月一五日から平成元年四月一〇日 国立岡山病院に入院

平成元年四月一一日から現在まで同病院に通院中

(3) 後遺障害

平成元年一一月六日に症状固定。

右大腿骨頸部骨折に対して人工骨頭置換手術を受け、右下肢長が七一センチ、左下肢長が七三・五センチとなり、両下肢の長さに差が生じた。

そして、大手術であつたため、症状固定後も従来必要でなかつた杖又は手押車等に頼らなければ歩行が困難となつた。

また、歩行の際、下肢を従前通り持ち上げることができず、つまづいて転びやすくなり、歩行に従来よりも二倍以上の時間を要することになつた。

本件事故のため、両眼の視力が〇・〇二以下になつた。

4  損害

(1) 入院中雑費 一四万七〇〇〇円

入院日数一四七日で一日当たり一〇〇〇円が相当である。

(2) 休業損害 一九一万六六四九円

原告は娘夫婦と同居し、娘夫婦が共稼ぎのため、原告が孫の子守、炊事、洗濯等の家事一切を処理していたが、本件事故のため平成元年一一月六日の症状固定まで全く家事処理ができなかつたところ、その損害は一か月当たり、原告の年齢に相当する六七歳女子労働者の年齢別平均給与一六万三三〇〇円を下らないから、休業損害は次の計算式のとおり掲記の額になる。

一六三三〇〇×一二÷三六五×三五七=一九一万六六四九円

(3) 逸失利益 八四四万六九五八円

後遺障害は自賠法施行令別表三級に当たるので、労働能力を一〇〇パーセント喪失した。

そして、症状固定時(六八歳)の年齢別平均給与は一六万一三〇〇円であり、今後少なくとも五年間就労可能であるから、次の計算式のとおり逸失利益は掲記の金額になる。

一六一三〇〇×一二×四・三六四(新ホフマン係数)=八四四万六九五八円

(4) 入通院慰謝料 二〇〇万円

(5) 後遺障害慰謝料 一五〇〇万円

(6) 弁護士費用 二〇〇万円

(7) 合計 二九五一万〇六〇七円

5  損害の填補

六九〇万円の支払いを受けた。

6  結び

被告ら各自に対し、未填補損害金二二六一万〇六〇七円の内金一〇〇〇万円及びこれに対する事故の日の昭和六三年一一月一五日から完済まで民法所定年五分の遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因の認否と抗弁

1  1と2の各事実は認める。

3の(1)の事実は認める。

3の(2)の事実中、昭和六三年一一月一五日から平成元年四月一〇日まで国立岡山病院に入院し、同月一一日から同年一一月六日まで通院(但し、実通院日数は二日)したことは認めるが、その後の通院は不知。

3の(3)の事実は争う。但し、平成元年一一月六日症状固定したことは認める。

4の(1)、(2)、(4)、(6)の各事実は不知。

4の(3)、(5)の各事実は否認する。

5の事実は認める。

2  示談契約の成立

原告と被告らは、本件交通事故の損害賠償に関し、平成元年一二月二二日、左記内容の示談契約を締結した。

(1) 甲(被告ら)は乙(原告)の治療代金を支払う。付添看護料を支払う。

(2) 右以外に甲は乙に対して本件事故の一切の賠償金として後遺障害八級分を含めてすでに支払ずみの金五〇万円以外に今回六四〇万円を支払うことで円満示談解決する。

(3) 後日乙の現在の後遺障害八級より重くなつた場合は医師の診断により甲乙双方誠意をもつて別途協議する。

なお、示談契約締結前に、原告の後遺障害は自賠法施行令別表の八級と認定されている。

そして被告らは原告に対して、平成元年一二月二七日、六四〇万円を支払つた。

三  抗弁の認否

否認する。

即ち、原告は本件事故前、新聞を読むことのできる視力を有していたが、本件事故により両眼の視力を殆ど失い、文字が読めない状態になつた。

そして、原告は保険会社の担当者に対して書面の内容を質したが、担当者は紛争が解決したことになる書面である旨の説明や書面の内容についての説明を全くせず、損害賠償金を銀行に振り込むのに必要であるから署名してもらう旨原告を誤信させた。

また、示談書によると、原告は後遺障害等級八級の障害が認定されたような内容になつているが、原告は症状固定等について担当者から説明を受けたことはなく、どのような手続きによつてそのような認定がされたのか不明である。

なお、被告ら主張のとおり、六四〇万円の支払いを受けた事実は認める。

第三  証拠は本件記録中の書証、証人等の各目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1と2の各事実は当事者間に争いがなく、本件交通事故により原告が請求原因3の(1)の傷害を負い、事故当日の昭和六三年一一月一五日から平成元年四月一〇日まで国立岡山病院に入院し、翌一一日から平成元年一一月六日まで同病院に通院し、同日症状固定となつた事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、被告の抗弁(示談契約の成立)について検討する。

乙第一号証の存在、乙第三ないし五号証、乙第六号証の一ないし三、乙第一九、二〇号証、証人岸篤子(その一部)及び田中康晴の各証言、原告本人尋問の結果(その一部)を総合すると、乙第一号証の示談書作成の経緯について以下のような事実を認めることができる。

被告の付保した任意保険会社の安田火災海上保険株式会社では、本件交通事故の解決について、村山一三が当初担当し、原告側では娘の岸篤子が窓口となり、交渉していたが、平成元年四月一日付けで田中康晴が引き継ぎ、同年一二月八日ころ、岸から後遺障害診断書が送付されたので、これに基づいて後遺障害の事前認定を申請し、八級該当の認定を受けて、田中において後遺障害賠償金を含む本件交通事故についての賠償金を算定し、その頃、田中において岸の勤務先を訪れて、積算書に基づいて説明したところ、岸から、母の原告に相談して返事をする旨の回答があつた。

しかし、その後、返事がなかつた結果、田中が照会したところ、原告方を訪問してほしい旨の返事であつた結果、事前に打ち合わせた一二月二二日に原告方を訪問し、原告に対し、示談の話で訪問した旨説明の上、積算書に基づいて、損害項目毎に査定した金額の説明をし、また、後日八級より重い後遺障害が存在するに至つた場合にはその旨の医師の診断があれば、追加して賠償金を支払うことになること、今回支払う金額は既払額を除いて六四〇万円になる旨説明したところ、原告は了承した。

そこで、乙第一号証の示談書の下半分の欄に、その場で、田中において示談内容を記載した上、これを読み上げて確認をとると、原告から了承した旨返事があつたこと、そこで、当事者乙の欄に自署捺印を求めたところ、原告から手が震えて書けないので代筆して欲しい旨の申し出があつたが、自署を求めたところ、原告において自署して名下に、その場に持つてきた印鑑で捺印した。

そこで、田中において、控えを交付し、また示談金振込の口座を聞いてメモにとり、振込には二、三週間かかる旨説明して了解を取つた。

その後、一二月二五日に原告から電話で、何時入金になるのか、早く支払つて欲しい旨の催促があり、一二月二七日に振り込んだ。

その後、岸からも異議等はなかつた。

右のとおり認められ、証人岸篤子の証言および原告本人尋問の結果中、前認定に抵触する部分は、前掲各証拠と対比して措信できず、他にこの認定を覆す証拠は見当たらない。

以上認定した事実によれば、乙第一号証の示談書作成の過程で、原告がその内容について錯誤とか誤解したと疑うに足りる事情は見当たらないのであつて、原告は、その内容を了解して、その意思に基づいて示談に至つたものと認められるのであつて、このように真正に成立したものと認められる乙第一号証によると、原告と被告らとの間で、本件交通事故の損害賠償について、被告ら抗弁の項に記載のとおり約定されたことが認められる。

しかして、その約定によると、原告は前認定の示談金の支払いを受けることを条件として、示談当時存在する後遺障害による損害を含めて原告に生じた一切の損害についての賠償請求権を、前記示談契約で放棄しているものというべきである。

そして、前記示談契約においては、示談後に、示談当時に存在する自賠法施行令別表の八級の後遺障害よりも重い障害の存在することが医師による診断で認められた場合には、その賠償請求権が留保されているものと解されるので、以下、主張の原告の後遺障害が示談契約当時に存在した障害の程度よりも重いものが存在するに至つているか否かについて検討する。

まず視力の点について検討してみるに、甲第一、三号証に証人皿田勝久の証言によると、原告の視力低下(現在、〇・〇二)は、原告の眼に交通事故に起因するものと診断できるような他覚的な所見が認められない結果、先天的に存在する障害に起因するものと認められるのであるから本件事故による後遺障害ということはできず、また、歩行障害の点も、甲第一号証に証人高杉仁の証言によると、本件交通事故による大腿骨頸部骨折に起因するものであつて、乙第六号証の三の記載を考え併せると、示談当時にも両脚長に主張の差があり、そして歩行の際に杖を要し、階段の昇降の際に手すりに掴まる必要のあつたことが認められることからすると、当時の後遺障害の程度よりも重い歩行障害が発生するに至つたものと認めることはできないのであるから、前記示談契約で損害賠償請求権を留保した、より重い後遺障害が存在するに至つているものということはできない。

三  以上の次第で、被告の抗弁は理由があるから、原告の本件請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三島昱夫)

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